村芝居や青年会の活動などで知り合った金城源治と文子は昭和22年結婚しました。
結婚した頃は、小麦粉の袋を使って下着等を作っていたのだと、生活すること事態大変だったと当時を振り返ります。


その話が徐々に評判になりお客様も増えてきました。

小さな雑貨・精肉・鮮魚店を営んでいた頃、決して安くはないお肉が売れ残った時、心苦しくどうにかできないものかと考えソーキそばが誕生しました。


貧しい時代、会社を辞めた創業者金城源治にお金を貸してくれる銀行もなく、地域の青年に協力してもらいコツコツと人力で田んぼを埋め立ててほったて小屋で食堂をスタートしました。

食堂をオープンするにあたり「大衆食堂」とする予定でした。
しかし当時の区長さん(金城徳助氏)から我部祖河を有名にするためにも「我部祖河食堂」にしてはどうかとの案があり「我部祖河食堂」と命名することになりました。

クーラーなどの無い昭和40年代。
炎天下の中、毎日汗を流して頑張っている肉体労働者の方々にクンチ(沖縄方言:「力」「栄養」の意)がつくようにとおそばを作っていました。






